過去を「捨てる」こと
過去を「捨てる」こと
正直、二十数年ほどの人生にこれといったものなんてない。
それでも沢山の人と関わってきたのは確かである。
しかし、すべてとは言えないが物事には必要のないものまで溜まっていくものだ。
丁度、ただただ広いだけの部屋にモノを必死に敷き詰めていくようなもの。
断捨離の必要性
必要のないもの、害を及ぼすものは単純に捨てればいい。
捨てることができれば、そのスペースに「余裕」が生まれる。
その余裕に、今の自分にとって大切なものを買いそろえていく。
それでいいんだと思う。「人間関係」においても同じことが言えないだろうか?
人間関係においての潔さ
もちろんすべての人に必要なことではない。
この理論が一概に正しいとも言わない。これは僕の現時点の「答え」である。
友人が多いことに越したことはないが、中途半端な関係は不必要だ。
それに、ヒトの価値観は日々更新されていくものである。
小学校の時のノリが今になって通じるかといえばそうでない場合が多いだろう?
昔の友が今の友になれるとは言い難い。
ザワという人間
ザワという価値観は大学に入ってから更新したものである。
従って、僕の過去を知るものはほぼいない。
僕の過去の人はザワという価値観(ヒト)を知らない。
だから僕はこれからもザワとして、今の人たちを大切にしたい。
数少ない少年、青年時代の友人にザワという価値観を伝えたい。
それで十分ではないだろうか。