大抵の悩みは対人関係
悩みの9割くらいは対人に関わる
全く悩まない人がこの世にどれぐらいいるかは分からないが、少なくとも大抵の人々は様々な悩みを抱えているだろう。
そして、基本的に分類すればほとんどのものが対人に関わる。
コンプレックスなんて言われているものなんか最たるもんだ。
明確に『誰か』なんて決まっていないが、その圧倒的多数のどうでもいい『誰か』におびえ、コンプレックスが誕生する。
どっか無人島やジャングルにぶっこまれたら、純粋にどうやって生き残るかだけを考えて、あの手この手で血だらけ、泥だらけになりながら火をおこしたりするんかな?
ところが、物質的にも恵まれた人間社会に囲まれた瞬間、なんとなく息苦しさを覚えるのだ。
恥ずかしいは一体どこからやってくるのか
不思議なのは、恥ずかしいって感情は一体どこからやってくるのかってことだ。
極端な話、さっきの無人島で全裸で走り回っても恥ずかしさなんてないだろうけど、なぜここでは恥ずかしく感じるんだろうか?(その恥ずかしさを快感にする人たちもいるんだろうが(震))
ただ江戸時代とか?昔の日本は女性も男性も上裸や全裸でも恥ずかしさを覚えなかった?
ところが鎖国を解いて、西洋の文化が取り入れられた結果、人々の認識に変化が生じ、今僕らは恥ずかしく感じるのか………
女性が化粧なしで出かける際も恥ずかしさが生じるだろうが、あれもどこから来るのだろう?
おそらく常識って言葉で片付けられてしまうんだろうが、その常識を作り上げて得をしているものがあるからじゃないのかって。
いわゆる『産業』だ。
必ずしも、この産業などの巨大な力が悪だとは言わないが、あなたは恥ずかしい状態だからうちの商品で変わりましょうって自尊心も金も吸い取られるのもなんだかなーって思うのだ。
もちろん強制されていないことだからしなくてもいいが、しないと社会の常識や流行という名のレールには乗れず、うまい汁も啜れないのだ。
そのレールがすべてだって考えて生きるのも良しなんだろうが、僕はめんどくさがりのクセして人目を気にするので、正直きちぃです。
僕の今の悩みの根幹がここにあるわけです。
悩みを悩みとしなければ悩みにはならない(小泉構文?)
要は気にしなければ勝ちということです。
気にして、解決できる力があって、その結果うまい汁を啜れるならやるべきで、骨折り損するような類なら別のことに労力をつぎ込もうってね。
人は精神的に弱っていると0か100思考に陥りやすく、正常な判断もできなくなるので、特に気を付けたいなって思うね。
今は不人気でも、ひたむきに自分のブランドを愛し続けられたら『勝ち』で、それが『価値』になるってね!
………
今僕いいこと言ったよね!絶対言ったよね!
とりあえず悩みに関して思うのは
一度でいいから「モテすぎて困るんだよねぇー」とか髪の毛いじいじしながら言ってみたかった人生でしたっ!