夢現
変わらない日常
良くも悪くも変わらない日常に感謝しつつも、やはり辟易する。
変化を好むことはいいことなんだろうけど、尻込みするのは事実であって、嫌悪する部分でもある。
変化がないこともいいことだろう。もともと人間は省エネするようにできてるんだから、逆らえば疲れる。でも”良い疲れ”は適度にハリを与えてくれるもので、本音はそれが疲れの中の大半を担ってほしいと思うが現実は厳しい。
バランスは難しい。以前も記事のネタにした。
勝手にその比率をシステム制御し、バランスのいい人生ならば楽なんだろうけど、他人はそれをつまらない人生という。
問題は偏っていても自分では気づかなかったり、誰も教えてくれなかったときだ。
結局、動き続けないと気付かないし、気付いてもらえないのだろう。
こういうことに気づいたは良いものの、補修工事ばかりしている僕は間違いなく”悪い疲れ”を自ら貯め込む、さながら超絶燃費の悪い車のようだ。
廃車にならないように気を付けたい。
解釈の自由
捉え方次第とはよく漫画やアニメ、ドラマや歌詞に至るまで、人生を説くものの常套句のように思う。
たしかにそうなんだろうね。
死ぬ以外のかわいい失敗達なんて、捉え方次第の魔法でいくらでも次の糧になってくれるのだろう。
どうせみんな灰になっちまうのに、何を頑張り、残すっていうのか?
その灰になる日なんていつか分からないわけで。
結局、今を生きるに帰着する。
だから、変わらない日常は餓死せず、核爆弾でチリにされず、生物兵器で寝たきりよりマシでだいぶ幸せだろうと勝手に解釈したりして。