Zawa's room

散らかったものを整理していく。余裕が生まれる。

カテゴライズが好きな人等

カテゴライズが好きな人等

なんでもカテゴライズする世の中

カテゴライズとは要は「分類」するということなのだが、それがうんざりすることがある。

なんでもごちゃごちゃしていると何かと必要な時に困るから、僕らはよくモノを違いの中から共通点を見つけてはグループ分けをよくする。

ネットが普及してからよく○○な男子やら、○○系女子やらを聞くことがあったし、身近な学生間の話でも陰キャやら陽キャなどそんな言葉も使われてきた。

 

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カテゴライズによる思い込み

 

思い込みと理解

別にカテゴライズすること自体が悪いわけではない。

ただ「なんでも」そのようにすることに嫌気が差すのだ。

特にヒトなんてのは複雑で簡単に分類分けできるわけがないし、仮にできたとしても絶対当てはまるかといったらそうではないだろう。

その対象に目を向け、向き合っていきたい。

とはいえ、僕自身も分類わけというか、タイプというか、まぁ分けることはある。

人付き合いをしていく中でもやはりいろんな人がいて、○○な人というように無意識にタグ付けしていくけれど。毎回、そのたびに自分の思い込みではないかと疑うようにしている。もしくはその裏には何か理由があるのではないかと。

決めつけるのは何様だって話だし、それを声にするのもあまりよろしくないだろうなぁ。(ほかに広めるのではなく自分の中にしまっておく)

大切な人ほど、接することでその思い込みやタグというのも更新されていくけどね。

 

 

とはいえ、勝手にカテゴライズされた者、カテゴライズの狭間に追いやられた者にとってはいい迷惑だってこと。………みんなが生きやすい世の中というのは本当に難しいね。

自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな

memento mori

「死」について

みんなは「死」について考えたことある?

あるっていう人もないっていう人もまぁ、この際ほんの少しでも考えてみてほしい。

別にみんなに今から暗い気持ちになれって言ってるわけではなく、むしろその逆で「死」を考えることで明日をより生き生きと過ごしてほしいからである。

どういうことか?

 

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僕らに必ず訪れる「死」

突然やってくる

テレビやドラマ、映画を見ていると僕らは突然の「死」を目撃することがある。

(悲しいことだが、目の前で起こることもある)

それは僕らも例外ではなく、もしかしたら明日死ぬかもしれない。

災害に巻き込まれる、あるいは頭のおかしい人に刺されて死ぬのかもしれない。

何が起こるのかなんて誰にも分らない。

 

 

書き出してみよう

ここまでくるとただ不安を煽っているだけだと思うかもだけど待ってほしい。

だからこそ今にフォーカスしてみたいのだ。

やり残したことはないか?

このまま死んでも悔いはないか?

そうすると、

今まで何気なく起きて、食べて、寝てを繰り返してきた日々の価値に気づく。

もしあなたが、誰かの人生に振り回されたり、自分自身をないがしろにしてきていたなら自分自身と向き合うことができる。

もしあなたが、自身の人生に迷いを抱え、当てのない日々を送っているなら新しい道を拓く大切な一歩になるかもしれない。

これを「死生観を持つ」という。

一度紙に書きだしてみるのもよいのではないだろうか?

 

 

混乱の中で生きる僕ら

こんなこと書いてる僕自身まだまだ死にたくないし、やりたいことだってある。

世間はもうクリスマスモードに入ってるようだけど、ハハハ……

こういうときって死にたくなるよね?えっ、ならない?

ともあれ僕らはありがたいことに生きている。

僕らの一生は花のように美しい。

せっかくの人生、泥だらけでも、みっともなくても咲いたもの勝ちでしょ?

必ず誰かがそんなあなたをキレイだと言ってくれる。

 

 

…言ってくれ!!!

 

 

 

 

過去を「捨てる」こと

過去を「捨てる」こと

正直、二十数年ほどの人生にこれといったものなんてない。

それでも沢山の人と関わってきたのは確かである。

しかし、すべてとは言えないが物事には必要のないものまで溜まっていくものだ。

丁度、ただただ広いだけの部屋にモノを必死に敷き詰めていくようなもの。

 

断捨離の必要性

必要のないもの、害を及ぼすものは単純に捨てればいい。

捨てることができれば、そのスペースに「余裕」が生まれる。

その余裕に、今の自分にとって大切なものを買いそろえていく。

それでいいんだと思う。「人間関係」においても同じことが言えないだろうか?

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人間関係の断捨離


人間関係においての潔さ

もちろんすべての人に必要なことではない。

この理論が一概に正しいとも言わない。これは僕の現時点の「答え」である。

友人が多いことに越したことはないが、中途半端な関係は不必要だ。

それに、ヒトの価値観は日々更新されていくものである。

小学校の時のノリが今になって通じるかといえばそうでない場合が多いだろう?

昔の友が今の友になれるとは言い難い。

 

ザワという人間

ザワという価値観は大学に入ってから更新したものである。

従って、僕の過去を知るものはほぼいない。

僕の過去の人はザワという価値観(ヒト)を知らない。

だから僕はこれからもザワとして、今の人たちを大切にしたい。

数少ない少年、青年時代の友人にザワという価値観を伝えたい。

それで十分ではないだろうか。

 

 

 

ザワの部屋

ザワの部屋を開設フリー素材 背景 主人公部屋(昼) | フリー素材 背景, 家, 部屋

ここでは主に、日々の生活で思いついたこと、学んだこと、悩んだことなどを好き勝手に書いていくつもり。

つまりこの時点でお分かりかと思うが、誰得ブログである。

もし少しでも興味を持ってくれたなら気軽にコメントしてほしいし、何なら気が合う友達が欲しいとまで思う。

最近は(とはいっても最近から始まったことでもないが)何かとネットで炎上や誹謗中傷などの悪質な使用が悪目立ちしているように見える。

何においても当てはまるが、物は使用者によってその効果は大きく異なる。

賢者が使えば今までなかった素晴らしい事柄、偉大な結果につながる力を秘める。それこそチャリティーや事件解決、その道に優れた人がネットを通じて助け合うことが可能になる。

一方愚者が使えば凄惨なことになる。ネットが普及し、なおも発展し続けている現在も人間の本質は変わらない。弱い部分がさらされると一斉に袋叩きにむかう匿名のハイエナが今も蔓延っている。

とはいえ、正直どれも今の自分にとっては完全にリングの外から見るもので直接お相手したことがないからわからないけど。

結局言いたかったことはネットやSNSは上手に使いたいって話。